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国境の長~いトンネルを抜けるとそこは滋賀県だった・・・ 【滋賀県 東近江市 永源寺】 [日記]

国境の長~いトンネルを抜けるとそこは・・・

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滋賀県だった・・・ ^^


今回の記事は、うちの近くに出来た新しいトンネルを通って、滋賀県の東近江市にある禅寺「永源寺」へ行ったときの記事です。といっても、今年の6月に行ったときの記事なんですけどね・・・。

やっとブログUP出来ました。(笑)

このトンネルは「石榑(いしぐれ)トンネル」といって、今年3月に鈴鹿山脈をぶち抜いて出来た、国道421号線の三重県と滋賀県を結ぶ全長4157mの長~いトンネルなのです。^^

新し道好きの自分ですが、色々と忙しくやっとこさ3ヶ月経って、バイクで「石榑トンネル」を通ることが出来ました。 めでたし、めでたし~。


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「石榑トンネル」から国道421号線をそのまま八風街道を通り永源寺ダム湖畔を走ります・・・



『永源寺』へ到着です。

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【永源寺】 臨済宗 永源寺派 大本山 → HP



うちから30kmぐらいですね。近いです~。^^

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それでは、永源寺目指して上っていきますか・・・

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永源寺は古くから紅葉の名所として名を馳せてきました。


時は6月の初め・・・ 新緑の青紅葉がまばゆい位に輝いています。^^

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ライムグリーンに包まれた参道はとても美しく、思わず息を飲んでしまうほどでした。^^



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かつては何かの建物が建っていたのでしょうか、今では石垣しか残っていません。

お城の石垣ほどの緻密さや堅牢さはありませんが、古くからの歴史が感じられていい雰囲気です。




向こうにお地蔵さまが見えますね。 ん!・・・

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あはは、お地蔵さまが眼鏡をかけていますね~。 眼鏡地蔵だ~。^^



さらに上っていくと左手に岩肌が・・・ ん!

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岩肌にとけ込んでいる仏さまは十六羅漢でした。^^



総門が見えてきました。

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ちなみに境内の中はこんな感じです。^^

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さて境内に入ると山門が見えてきました。

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やっぱり山門があるお寺っていいですね。^^




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永源寺本堂です・・・

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萱葺きの本堂は珍しいですね。以前、世界遺産「白川郷」の明善寺で萱葺きの本堂は見ましたが、ここまで規模の大きい萱葺きの本堂は初めてです。^^


ちなみに・・・

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下から見上げるとこんな感じです。




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創建当時の伽藍などは度重なる兵火に焼かれ残っていませんが、現在のものは江戸中期以降に再建されたものだそうです。



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松尾芭蕉の句碑がありました。

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永源寺は「永源寺こんにゃく」が有名で、永源寺の開祖「寂室元光禅師」が中国から種芋を持ち帰って、禅僧達の食事として作られるようになったのが始まりと伝えられています。

そんな「永源寺こんにゃく」にちなんで、芭蕉が詠んだこんにゃくの句碑を建立したのでしょう。

この句碑の両隣には白梅と紅梅の古木があり、春先にはとても美しい風情となるのだそうです。





さて、境内を散策しましょう。^^

【法堂】
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【開山堂】
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【経堂】
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安土桃山様式の極彩色に彩られた寺院は息をのむほどに美しいのですが、禅宗の名刹の美しさは自然に溶け込んだ対極の美しさですね。

春は梅、新緑の青紅葉に包まれやがて緑深き夏の蝉時雨、そして秋は彩りも艶やかな紅葉となり、冬は雪深く水墨画の世界が広がる・・・


永源寺は紅葉の名所、秋にはたくさんの方が訪れます。自分は秋の紅葉も好きなのですが、新緑のころのライムグリーンに包まれた青紅葉も大好きなのです。本当に綺麗だなあって思います。^^

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そろそろ戻ることにしましょう。^^

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総門をくぐり下界へ・・・

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あの飛行機は何処へいくのかなぁ・・・




そして、麓のお土産屋さんで・・・

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赤いこんにゃくもありました。^^

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自分はというと・・・

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甘酒~ ( ^-^)_旦""

このひととき、なんかホッとしますね。^^



ここで一句・・・

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『甘酒を カメラで撮ってる 変な人』

小さな彼女の人生の中で、初めてブロガーを見た瞬間だったのでしょう。不思議そうに自分が甘酒を撮ってるところを見てました。

自分がニコって微笑みかけると、照れてお母さんのところへ行ってしまいました。可愛かったなぁ。^^




では、また。



今更ですが松阪城跡へ行ってきた。。。 【三重県 松阪市 松阪城跡】 [日記]

さてさて、皆さまいかがお過ごしでしょうか。^^

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今回は、久々の登場のKSRでお出かけです。 さて、ここは何処でしょう。^^



ここは松阪城の裏門跡です。

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最近はもっぱらNinja250Rで長距離ツーリングに出かけていましたので、KSRの出番はありませんでした~。
そんなわけで、KSRはチョイノリ専門になっていましたので、今回は近場の松坂城跡へKSRで行くことにしました。^^

実は三重県の松阪市にあるこの城跡へはまだ行ったことなかったのです。

同じ県内にあるので、いつでも行けるし~みたいな感じだったので、まだ行ったことなかったのですね。(笑)

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この日は8月14日でした~。^^



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松阪城は蒲生氏郷が天正16年(1588年)に築城したとありますね。

wikipediaによりますと、松阪城は「1584年(天正12年)に近江国日野城6万石の蒲生氏郷が伊勢国12万3千石を与えられ松ヶ島城に入城した。 1588年(天正16年)氏郷は、松ヶ島は伊勢湾に面し城下町の発展性が無いと考え、現在の城地である飯高郡矢川庄の四五百森(よいほのもり)に新たに築城を開始した。」とあります。

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地図で確認すると松ヶ島城から松阪城まで直線距離で3.3kmほど内陸に移ったことになります。

自分も伊勢へ行くときは、かつて松ヶ島城があった辺をたまに通るのですが、平野が広がっていて長閑な場所です。
wikipediaには「伊勢湾に面し城下町の発展性が無いから」と松ヶ島城から移った理由が書かれていましたが、一からお城と城下町を造ったほうが、理想的な城下町を造ることが出来るからなのでしょうね。

ただ自分的には、伊勢湾に面した松ヶ島城から約3.3kmも内陸へ移ったのは、天正13年(1586年)に発生した天正大地震が関係しているのではないかなって思っています。





皆様、以前自分が、白川郷の近くの帰雲城跡へ行ったときのブログ記事を憶えていますでしょうか・・・

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天正13年11月29日(1586年1月18日)に発生した天正大地震により、帰雲城は帰雲山の山崩れによって城下の町並みごと呑み込まれて、内ヶ島氏は滅亡しました。

この天正大地震はマグニチュード8ぐらいの巨大地震で、近畿から東海、北陸にかけての広い範囲に甚大な被害を及ぼしたと伝えられています。
この天正大地震のとき、伊勢湾では津波があったとされ、地震とともに海水があふれ溺死者を出したとも伝えられています。

蒲生氏郷が松ヶ島城に入城したのが天正12年(1584年)で、天正大地震が起きたのは天正13年(1585年)です。

伊勢湾に面していた松ヶ島城あたりの津波による被害がどうだったのかはわかりませんが、蒲生氏郷は伊勢湾周辺の被害状況を十分知っていたと思います。お城と城下町を移すときに、その場所を少し内陸の方へ移したのは、そのせいかもしれませんね。

松ヶ島城下の町人をすべて強制的に松阪城下に移住させて、伊勢神宮の参宮道も松阪経由に変更させたことも何だか納得できますね・・・。 まあ、あくまでも個人的な意見ですけどね~。^^




それでは、松阪城内へ・・・

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場内にある歴史民俗資料館では「伊勢おしろい」の企画展をやっているようなので行ってみることにします。

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建物は明治時代に建てられたもので、図書館として使われていたものだそうです。 とってもいい感じデス。^^

もちろん、民俗資料館の中に入って「伊勢おしろい」の企画展を見たのですが、結構興味深かったですね。

「伊勢白粉(おしろい)」は現在では作られていませんが、松阪地域を代表とする伊勢の特産品で、16世紀ごろまで盛んに使われていたそうです。



民俗資料館の入口には、11月に行なわれる「氏郷まつり」のポスターが貼られていました。^^

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蒲生氏郷は面長な感じの人だったのですね。 冑も長くてトンガリ~。^^

松阪の城下町を造った蒲生氏郷は市民の誇り。。。 なんたって「松阪」と名付けたのは氏郷ですから~。^^

氏郷の生まれ故郷の近江蒲生郡日野にある神社の参道周辺にあった「若松の杜」から「松」の字を、そして秀吉の大坂(阪)城から「坂(阪)」の字をあわせて、「松坂(阪)」と名付けたと言われてます。


民俗資料館の外も花がいっぱいでとってもいい感じでした。

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それでは本丸の方へ・・・

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天正16年(1588年)に築城した松阪城の本丸には3重5階の天守があったそうです。

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松阪城が築城した2年後、天正18年(1590年)に蒲生氏郷は、小田原の役の軍功により陸奥国会津60万石の大封を得て会津に移りました。そして、会津においては、町の名を黒川から「若松」へと改め、城作りを行いました。

そうです、近江国日野のあの「若松の杜」の「若松」です。氏郷は遠く会津の地にあっても、故郷のことは忘れなかったようです。

近江、伊勢、会津・・・ 一人の戦国武将の生き様を通して一つに繋がったような気がします。

文禄元年(1592年)に始まった文禄の役では肥前名護屋へと出陣して、この陣中にて体調を崩し、文禄4年(1595年)京都伏見の蒲生屋敷において亡くなりました。享年40才でした。


wikiに興味深い記述がありました・・・

「これは奥州の伊達政宗(会津は伊達政宗の旧領)を抑えるための配置であり、当初細川忠興が候補となったものの辞退したため氏郷が封ぜられたとされる。」

もしも、細川忠興が会津に移っていたなら、歴史は変わっていたかもしれませんね。
もちろん会津若松という名もありませんし、徳川家康の会津征伐も無かった。
関ヶ原の戦いがあったとしても、関ヶ原の戦いに細川忠興が参加出来たかどうか・・・
忠興は黒田長政とともに石田三成の本隊と激闘を演じましたから、それがなければ関ヶ原の勝敗も変わっていたかもしれません。


現在の松阪城跡には石垣しか残っていませんが、でもその石垣は素晴しく、かつての様子を思い起こさせるに十分です。

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それでは、本丸跡から本居宣長記念館へ・・・

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本居宣長記念館は本丸を下ったところにあります。



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本居宣長ってどんな人・・・?

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こんな人です。 顔はご想像下さい。(笑) → こちらへ・・・



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天正18年(1590年)に蒲生氏郷が会津に移ったあとは、松阪藩は服部氏、古田氏の時代を経て、江戸時代の元和5年(1619年)に紀州藩の藩領となりました。

松阪城には紀州藩の城代が置かれ、紀州藩領として明治維新を迎えました。

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【御城番屋敷】
御城番屋敷は松阪城の警備を任務とする紀州藩士とその家族の住居として文久3年(1863年)に建てられました。



それでは御城番屋敷へ行ってみましょう。

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御城番屋敷は現在も子孫の方々が維持管理していて、そのうちの12戸分は借家として利用されています。


いまだに子孫の方々が住んでいらっしゃるのは、本当に素晴しいことだと思います。

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この建物は、御城番屋敷の土蔵ですが、松阪城内の隠居丸あたりに建てられていた米蔵を明治初期に現在地に移したものと言われています。

松阪城唯一の遺構かも・・・ ^^



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御城番屋敷の石畳の上に立ってみた。。。

武家屋敷の両側に巡らせた生垣とその向こうに見える松阪城の石垣がとても美しいです。
新しい時代になっても、この美しい風景を守ってきた紀州藩士の子孫の方々の気持ちがなんとなくわかるような気がします。




皆さんのブログを見て、松阪城と御城番屋敷の素晴しさは知っていましたので、自分の中ではとっておきのお城だったのかもしれません。






さてさて、せっかく松阪に来ていますので、あの「松阪肉」を食べに行くことにしました。 腹減った~。^^

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【一升びん 宮町店】
三重県では超有名な『一升びん 宮町店』


何が有名かといいますと・・・

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ここ『一升びん 宮町店』では、回転寿司ならぬ回転焼肉が楽しめるんです。^^

目の前をお皿に乗った松阪肉ちゃんたちがグルグル廻っています。
もちろんお肉なので冷蔵レーンとなっておりますよ~。
ボタンを押すとカバーが開いて、好きなお肉やデザートが取り出せます。

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美味しい~。^^


ちょっと野菜も摂らなきゃね。^^

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ここは奮発して松阪肉の上をGet!

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霜降り、霜降り~。


見よ!このゴールドのお皿を~。(笑)

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これは美味し過ぎます~。 生きててよかった~。^^




今日は本当に松阪を楽しんだな~なんて『一升びん 宮町店』を後にしたところ、いきなり土砂降りの雨・・・

少し小ぶりになったところで松阪を脱出、帰ってからドロドロになったKSRを洗車しに隣町の洗車場へ・・・

洗車も終り、やれやれKSRも綺麗になったなあって思っていたら、またまた土砂降りの雨・・・

またまた、ドロドロになって帰りました・・・ TT





【おまけ】

今年の夏もあちこちへ出かけて、いっぱい楽しみました~。^^
そんな楽しかった今年の夏の思い出とブログ記事で紹介していない分も含めて、フォトムービーを作っちゃいました~。^^

では、どうぞ・・・






ん~、とってもいい季節になりましたね。^^

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では、また。



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